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2011年1月11日 (火)

Vol.141『習いはじめの落とし穴とは?』

(漆)授業では、所作を覚えたからといって、これ見よがしにひけらかすことは良くないということも教えていただきました。
(宗家)小笠原流の伝書には、「無躾は目に立たぬかは躾とて目に立つならばそれも無躾」という教え歌がございます。身につけたことをひけらかしてしまうふるまいは、作法を知らないことと同じほどに失礼であるという意味です。また、先代がたびたび門弟に伝えていたことがございます。お稽古のなかで「お焼香」の作法を学ぶことがあるのですが、あるとき、門弟の1人が先代に、「先月、お焼香のお稽古ができて良かったです。そのすぐ後に応用できる機会がありまして・・・」と申したため、先代はそれを厳しく注意いたしました。
悲しみの席で、自分が上手にできたことに満足するというのは、根底にある心が身についていない証拠である。個人や遺族に対する思いがあれば、悲しみのあまり手が震え、焼香台を倒してしまうことがあったとしても仕方がない。それは、作法からすれば過ちだが、それ以上に、そこに心が存在していることのほうが大事なのだ、と。このエピソードに象徴されますように、形だけでは不十分なのです。

(『女の子が幸せになる授業
漆紫穂子 著 小学館 P.22より引用)

新しいことを覚えたときや、手に入れたとき、つい舞い上がってそれを人に見せびらかせたくなることってありませんか?わたしも先日、新しいマックのノートパソコンを購入したとき、その薄さ(封筒に入るほど!)に感動し、数週間は、わざわざ人前で封筒から取り出して、それを話題にするという、子供みたいなことをしていました。
それも嫌みじゃない程度なら、微笑ましいアイスブレイクですみますが、新しい手法を覚えたコンサルタントが、それをこれ見よがしにクライアントに見せつけるのは、ちょっと考えものです。実は何を隠そう、わたしも以前、苦い思い出があります。

独立して間もない頃、新しいマーケティング手法を学んだわたしは、それを自信満々にクライアントに提案。その社長はひととおり話を聞くと、「それはウチには当てはまらないよね」とひと言。真っ赤になって、あわてて提案を引っ込めたのを今でも覚えています。
独立して間もなく、気負いもあったのでしょう。でもそのときのわたしのフォーカスは、「クライアントの課題解決」ではなく、「その新ノウハウを試すこと」にあったのだと思います。

そのとき、わたしは「知識や情報をツール(道具)にしている仕事だからこそ、それに振り回されないように、その目的に集中しておくことが大切なんだ!」と学びました。
それ以来、習いはじめのときほど、その目的を紙に書き出して忘れないようにしています。

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