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2003年2月 1日 (土)

Vol.46 『“やれない”のか“やらない”のか。』

 宿題というのは、学生時代だけかと思ったら、社会人になってからも発生するもので、私もよくクライアントに推薦図書や演習などの宿題を出します。当然、その人にとって必要だと私が判断し、ご自身も「是非やる必要がある」と考えたことに限ります。ここで、たまに起こる問題は、「その宿題が必ずしも期限通りになされるとは限らない」ことです。これは私自身にも言えることです。先日、あるお誘いに対する返答で「参加できません。」と伝えたところ、「参加できないのか、参加しないのか、どちら?」と尋ねられた際に、ハッと気がつきました。結構、安易に「やれない」と言っているけど、本当は自分の意志でそれを決めているところがあるのでは、と。

やらない理由を尋ねると、

「忙しくてやれませんでした。」
「急用が立てこんで、やれませんでした。」
「難しくてやれませんでした。」

といった答えが返ってくることがあります。共通点は、「やれませんでした。」という言葉が使われることです。しかし、その人がやらなかった理由は、本当に“やれなかったから”なのでしょうか?

「忙しくてやれませんでした。」は、私なりに翻訳すると、こうなります。
「忙しくて、ほかに優先順位が高いと判断したことがあったので、あなたとの約束を守るよりも、そちらを優先したかったので、やりませんでした。」

「急用が立てこんで、やれませんでした。」は、私なりに翻訳すると、こうなります。
「急用が立てこんだため、やることの優先順位を見直したところ、あなたとの約束の優先順位が低くなったため、やりませんでした。」

「難しくてやれませんでした。」は、私なりに翻訳すると、こうなります。
「難しくて、自分ひとりでは理解できず、かと言って、あなたに相談するもの面倒くさかったので、やりませんでした。」

まるで、何か自分の努力の枠外の影響で“やれていない”みたいに言うのはやめて、正直に“やっていない”と言うとしたら、それでもやはり、“やらない”ですか?

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