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2000年1月

2000年1月 1日 (土)

Vol.9 『自分のことをわかってもらうためには、努力が必要。』

宣伝を「売るための手段」としか考えていないと、そういう間違いを起こしがち。宣伝というのは、商品を売る手段である前に、情報を正確に伝達するために行うものです。それを忘れてはいけません。したがって、誇大広告になってはいけないのはもちろん、控え目すぎてもいけない。その商品の魅力やメリットをありのままに伝えるのが宣伝の基本ではないでしょうか。

(『人材論』 著者:樋口廣太郎 氏 講談社 p。157 より引用 )

  企業であれば、当然自社商品をお客様に買って頂けるよう様々なPRをします。しかし、イチ個人として見ると「自分のことをわかってもらうための努力」をしている人というのは、どのくらいいるのでしょうか?

 会社内で上司・部下のコミュニケーションがうまくいっていなかったり、場合によっては横の連携すら十分に取れていないことがよくありますが、原因の1つはお互いに「自分のことをわかってもらう努力」を怠っているのではないかな~、という気がします。

 これは「自分の価値観を押し付ける」とか「自分をより大きく見せる」こととは全く違います。お互いのことをより理解することで、仕事もしやすくなり、余計なストレスを抱えることが減ります。

 しかし、自分のことをわかってもらうことは大変なことです。なにせ「外面と内面」があって、内面はナカナカ見えないからです。それを大切な人にわかってもらうには、やはりそれなりの努力が必要なのではないでしょうか。ときには誤解されることもありますし。

 ここ数年、インターネット上でメールマガジン(電子新聞)を発行している人が急増していて、結構専門的な論文やユニークな切り口のエッセイが連載されています。共感できる情報を発信している人にはスポンサーがつき、購読者も増え、成長しています。その過程で人が人を呼び、ネットワークを広げているようです。

 インターネットの文化ではこういうことが積極的になされているのですが、日常ではあまりそういう場面が見られないことも不思議です。日本人独特の控えめな発想から抜けきれないのでしょうか。これからは自分自身を適切に伝える(セルフ・プロモーション)能力がますます必要になると感じます。ちなみに、このレポートも、和仁が何を考えているかを少しでも大切な人にお伝えするための手段ですからね。

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Vol.9 『人は"欲しいモノ"を求めている!?』

 「欲しいモノは何ですか?」と尋ねられて即答できる人は、どれくらいいるのでしょうか。「あるに越したことは無いが、それなりのお金を払ってまで欲しいモノは  特に見当たらないなあ」という方も多いのではないでしょうか?それは、特に裕福だからなどという次元の話ではなく、「必要と感じたモノは既に手に入れていて、大して不満もないから」だと思います。

  私自身、新聞や雑誌や人から「こんな面白いモノがあるよ」と紹介され、その時関心があることと偶然一致している場合以外は、欲しいモノがあまり無いなあ、と感じています。

  ということは、「欲しくなるモノを提案してくれる人」は貴重な存在なのではないか、と最近考えています。欲しくなるのはそこになにがしかの"感動"があるからです。

 例えば100円ショップでファイルケースを買うのは、「え!?これが100円!」という感動があるからです。また、以前ある雑誌で1万円のじゃがいもの販売広告があったところ、複数の読者から購入申し込みがあったそうです。これは実は単なる誤植だったようですが、申し込んだ読者は「1万円のじゃがいもなんて、どんな味がするのかと思って」と言っていたそうです。この読者は、きっと「感動を求めていた」のではないかと思います。

 ここで1つ気づかされることは、「付加価値の高い商品が求められている」ということです。「感動を与えてくれる商品が求められている」とも言えるでしょう。仮に高額の商品で、お客様の当初の腹積もりよりも大幅に予算オーバーするような商品であっても、お客様にとってそれが"欲しい"と思ったら、多少ムリをしても買おうとします。欲しいと思い、そこに"感動を得られる"ことが見え、納得ができれば、お客様の予算はあってないようなものかも知れません。だから、「このお客様にこの高額商品をお勧めすることは気が引ける」という販売員の勝手な思い込みで、お客様の予算を先に聞き出し、それを大前提にして商品提案をすることは必ずしもお客様志向ではないように思います。このようなとき、予算は参考にこそすれ、前提条件ではないと思うのですが、いかがでしょうか?

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