« 1999年6月 | トップページ | 1999年8月 »

1999年7月

1999年7月 1日 (木)

Vol.3 『死んでも"やるべきこと"はなくならない』

あなたがどんな肩書きをもち、どんな仕事をしていようと、自分の幸せと愛する人たちの幸せがなにより重要だということを忘れてはいけない。すべてをやりとげることにこだわるかぎり、心の平和は訪れない。ほとんどのことは待ってもらえる。仕事のうえで本物の「緊急事態」と呼べるものなんて、めったに起きないのだから。人生の目的は、すべてをやりとげることではなく、その一歩ずつの過程を楽しみながら、愛情のある暮らしを送ることにある。

(『小さいことにくよくよするな!』 著者:リチャード・カールソン 氏
サンマーク出版 p.28 より引用)

 現代の忙しい(忙しくしている)ビジネスマンに対する、的を射た警告ではないかな、と思い ます。奥さんを放っておいて、「仕事なんだから仕方がないだろ」と仕事に没頭し、仕事を「や り終えること」を目標にして、「終わった!」と思った頃には次の仕事が目の前に山積していて、 結局その繰り返し。「いつになったら、ノンビリ家族と過ごせるのか??」と首をひねる。そう いう人は多いのではないでしょうか。私自身も同じです。今でこそ、この本を読んで気づかされ、 できる限り気をつけるようにはしていますが…。

 仕事を効率的に行う努力はもちろん大切で、それにより「仕事を早く終わらせること」は良い ことだと思うのですが、それ自体が目的になってしまったら、つまらないような気がします。 仕事とは、精一杯努力して人のお役にたつことで、「ありがとう」の一言を頂き、その結果自 分の存在価値が高まっていくところに「仕事をする喜び」があり「意義」があると私は考えてい ます。だとしたら、1つ1つの仕事を早く終わらせることばかり考えて、「適当にこなす」とい うのは本末転倒です。本来、「良い仕事をする」ことが前提にあるのであって、その手段につい ては「仕事の仕方を改善して効率的にやる」「人に助けてもらい早くやる」「(納期が迫っていな ければ)仕事を進めるペースを落す」「そもそも"本当にやる必要がある仕事なのか"を見直し、 場合によってはやめてしまう」など、いろいろ考え方があると思います。

 そうやってあれこれ考え、「仕事をもっと楽しもう!」と決めてしまうと、考え方が前向きに なります。家族との時間もはじめから予定に組み込んで、たとえば忙しくても旅行の予定を組み 込んでしまうなどの冒険(?)も、意外とやってみればできてしまうことが分かります。

 このことは最近の私自身のテーマなのですが、皆さんはいかがでしょうか。

|

Vol.3 『人脈と情報は、公開するほど増えてくる。』

 以前勤めていた会社で、新規開拓営業に従事していた頃、ふと気がついたことがありました。それは、「人脈と情報は、公開するほど増えてくる」ということです。

 その当時、新規営業のため、毎日新しい出会いに恵まれていました。私は人との出会いが大好きですので、「ピン!」とくるAさんと出会うと、すぐに「Bさんに紹介してみよう」と、ご紹介の場を設けたりして、そこに何かが生まれることを楽しんでいました。しばらくこのようなことを続けていると、「Aさんと多少ご無沙汰していても、関係が途切れ難くなる」ことを発見しました。AさんとBさんが仲良しになることで、2人の会話の中で私が登場することがあるからかも知れません。Aさんと私が連絡をとっていなくても、Bさんと私のやり取りが続いていることで、結果的にAさんと私の接点が途切れずに済んでいるようで、久しぶりにAさんにお会いしても違和感なく会話が盛り上がったりします。そうこうして、結果的にネットワークが広がっていきます。

 情報やノウハウも同様で、友人に「こんな資料が手に入ったから、~の調査のときに利用してみては?」「こんなテキストを作ったのだけど、使える?」という具合にやることがあります。もちろん信頼関係の確立した相手に限ることは言うまでもありません。すると、それを見た友人が、「私だったら、こういう切り口でまとめるよ」「こういうことに関心があるんだったら、私もこういう資料を持っているから今度送るよ」ということになって、結局私の情報量が増えていく場合があります。このとき、私が差し出した「情報」と「"何かお役に立てたら"という気持ち」が「相手の情報を引き出すトリガー(引き金)」になっているのかも知れません。

 初めの頃は、「この情報はもったいないから、自分のところに止めておこう」とか「これだけ労力を費やして作った資料(ノウハウ)を人に見せて使われるのは損した気がする」などと量見の狭いことを考えていました(今でも時々は考えます)が、よくよく考えてみれば、普通の人なら「良いものを貰ったら、何か返してあげたい」「助けてもらったら、助けてあげたい」という貸借のバランス感覚を持っていますから、損するよりも得することの方が多いのも当然という気がします。

 もっとも、はじめからそういう見返りを期待して行うのはおかしな感じですが、改めて考えてみるとそういうものなのかな、と思うのですが、いかがなものでしょうか。

|

« 1999年6月 | トップページ | 1999年8月 »